回顧

全てはポジショントークである

5年前の今日、その年の最後の日にこのようなことを書いていた。

過去は過去であると捨て去れる人間でないと、(年齢を重ねていくのは)難しい

5年の間、本当にたくさんのことがあった。

人間関係には賞味期限がある、ということを悟ってから、人との関わり方を変えたかといえば、そうでもないような気がする。進歩はあったのだろうか。

仕事の面では、今年は大きく飛躍できた年だ。それは間違いない。

上場ITベンチャーでの長くつらい3年間のトンネルを抜け、再びスタートアップ企業に舞い戻った今年は、大変なこともあったが仕事面で充実していた。

年後半には過去の同僚から顧問の仕事が舞い込んできたりと、一度は計画を引っ込めた個人事業の拡大も視野に入れていこうと考えるきっかけになった。

この仕事はもっと稼げるはずと、耐えがたい屈辱を耐えてきた苦労がようやく報われた年であった。

「過去は過去である」として人間関係の賞味期限に気付いた5年前。

今年気付いた「過去は過去である」は価値観などすべてはポジショントークであるということだ。

十数年以上住み続けた「首都圏郊外」の快適な暮らしを捨て、東京の都心部に移り住んだ。十数年ぶりに東京都民になった。車でショッピングセンターに乗り付け、生活用品をまとめ買いし、1LDKの家に住む。東京で働く独身者とは異なる価値観で、上京以来の17年間を過ごしてきた。

川(多摩川、江戸川、荒川)を渡れば家賃が5万以上違うこともあるが、何より東京都心部では車を快適に乗り回せるわけがないし、物件も駐車場付きのものは少ない。月極駐車場もバカ高い。家も狭い。

東京都心部に住むことに対して、憧れなど微塵もなかった。給料が多少上がっても、新築の物件に引っ越すなどはあったが、ずっと郊外に住み続けた。

なんでそんなとこに住んでいるの?というくだらない問いに答えるのが面倒ではあったが、長年価値観を変えずに住み続けたのである。

マイルドヤンキーの価値観と、東京の価値観が同居する、自分でもよくわからない、一言で表せない自分自身の人間性。人と会話するたびに、そこに悩み続けることもあった。オシャレなカフェに行くことが好きだし、時には百貨店でブランド物の服や小物も買う。でも郊外の車生活が好き。広い家が好き。東京は、この二つがイコールで結びつかいない土地なのだ。

仕事の飛躍と、独身のまま年齢を重ねたことが、この状態に終止符を打った。

まず収入が大幅に増えた。自分の実力ならせめてこのくらいは、と思っていた金額を超過し、もっと上も目指せるのではという状況になった。単純に、金銭的に都心の広い家に住めなくもないかという状態になった。

もう一つは、中年クライシスだ。若い頃は自分のために頑張れるが、アラフォーになると自分のために頑張ることが出来なくなる。多くの人は家族が出来ることによって家族のために頑張るようになるが、自分にはそれがない。仕事でも趣味でも、打ち込んでる自分自身に対して「何のために?」と空しくなってしまう時がある。それを乗り越えるには、自分には「刺激」が必要だった。より強い刺激が。独身アラフォーはそういった意味でも面倒くさいのだ。

収入が増えたといっても、経済合理性だけを考えれば、川を渡って都心へ通勤する方が選択される。片道2時間とかであれば話は別だが、片道1時間程度であれば東京ではスタンダードであるし、通勤費は会社負担の企業がほとんど、自分の場合はさらにリモート勤務が可能なので、必ずしも毎日時間をかけて通勤する必要もない。

が、経済合理性だけではもはや生きていけないのが中年クライシスだ。

去年関わった人の影響も多少あるが、お金に余裕が出たことで、一気に都心に住んでみるという選択肢が浮上した。最初は都心までいかず、23区で羽田空港に行きやすいところという感じで探していたが、色んな成り行きがあって、いっそのこと都心に住むという選択になった。

前職の屈辱など鬱屈した思いからの脱却と、どっちつかずの価値観に終止符を打ってスッキリしたくなったのかもしれない。

「お金があっても都心になんて住まない」とかつては言っていた。いざお金が出来てくると、そんな価値観が変わることもある。収入が少ない頃は「多い人から税金を取る」ということに違和感はなかったが、いざ大きく取られる側になると「こんなに頑張って今の収入になるのに」と思うわけで。

なんだかんだで価値観やら、政治的主張やら、全てはポジショントークなのかもね、と思う。

そういやこのブログを書き始めたころはセミニートを目指していたな・・、これで生きていくという仕事を見つけられてから、そんなことを考えることはなくなった、これもポジショントークか。

まあFIREはできるものならしたい。5年後くらいにセミFIREを目指せるレベルのお金が一気に入る可能性も少なからずあるので、そこに期待かな。

まだまだ乗り越えたい壁はあるし、目標もある。

とはいえ、ここ数年は時間的にも精神的にも余裕がなさ過ぎたので、来年は少し本業をセーブして、仕事面以外でも充実した生活を送れるようにしたい。

※アイキャッチ画像:2024年12月31日の東京・表参道

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